【レポート】能登ドキュメンタリー「NOTO, NOT ALONE」上映会@東京を行いました >>トーク詳細

 

2024年4月27日に、東京・下北沢で、能登のドキュメンタリー「NOTO, NOT ALONE」(35分 監督:小川紗良 出演:三上奈緒ほか)の上映会とトークイベントを行いました。その模様をレポートします。 

(イベントの経緯)

2024年1月1日に、石川県の能登半島で起きたマグニチュード7.6の地震。最大震度7が観測され、甚大な被害をもたらしました。

そんな中、能登半島の先端の珠洲市にある飯田高校では、午後の授業を再開することに。しかし深刻な状況下で、昼食のお弁当を用意することができません。

そこで、ボランティアとして名乗りを上げたのが、旅する料理人・三上奈緒さんでした。10日間にわたり、およそ170名のお昼ごはんを、仲間たちと提供しました。

その様子を、映像作家の小川紗良が、3月18日・19日の2日間にわたり密着取材し、まとめたものが、ドキュメンタリー「NOTO, NOT ALONE」です。

『炊き出し』ではなく、あえて『給食』と呼ぶことで、伝えたかった思いは。必要なはずの『給食』がおかれている厳しい現状とは。

現地で見たもの、感じたことをお届けします。

 

東京では能登が薄れ、現地では圧倒的に人が足りない

小川:「NOTO, NOT ALONE」(能登はひとりじゃない)という言葉は、能登で最初に訪れた『元気な野菜たち のっぽくん』というお店で見かけました。映像にも映っていた缶バッジの、あのロゴが、能登で出回っているみたいです。著作権フリーで。その言葉が、すごく素敵だなと思って、映像のタイトルにしました。

でも今、東京では、能登のことが薄れてきています。私も、三上奈緒さんに声をかけてもらって、現地に行き、感じてきました。

三上:映像でまとめられていたものは、ほんの一部です。私は、たまたま飯田高校というところで給食をつくりました。能登といっても広いですから、金沢から、はしっこの珠洲(すず)まで行くのに2時間半かかります。最初、道がガタゴトだったときは、4時間半かかってました。

各地で、いろんな方が炊き出しや復旧作業をしています。お話しすると、「こんなに人が来ていない地域は初めてだ」って言うんです。ボランティア、支援団体など、圧倒的に人が足りていないのが、能登の現状です。


「能登に来ないで」は違う、必要なことがいっぱいある

三上:久しぶりに東京に戻って来て新聞を開いても、能登の記事は、全然載っていない。でも能登の町並みは、さっきの映像のまんまなんですよ。春になって、あったかくなって、人は少しずつ動きはじめているけど、倒れた家や、電柱はそのまんまだし、珠洲はいまだに思うように水が使えません。

三上:新聞では「通水した率8割」と出ています。「あ、水が通ったんだ、よかった」って、思いがちなんですけど、実際は、下水が壊れて機能してないとか、浄化槽が壊れている、といった状況で、水が出せても使えない家がほとんどだったんですね。お風呂はいまだに自衛隊風呂に入っている人たちもいます。だけど、数字上では「通水した」とされてしまっている。

三上:最初、「能登に来ないでください」っていう報道がありました。私も最初、「どうしよう」と思って、友達に連絡したら、「俺はもう行ってる」と。その人たちのSNSを見ていると、現地の様子はひどいし、「何かできる人は行った方がいい」と思って、実際に行ったら、やっぱり必要なことがいっぱいありました。

県のボランティアに登録した人も、たくさんいらしたと思うんですね。でも、なかなか現地に派遣されない。結局、現地に受け入れ先をコーディネートする人がいない、滞在できる場所がない、といったことが重なって、行きたい人はいるのに行けなかったり。


ハッピーニュースの裏側で

三上:新聞、ニュース、ネットで拾える情報は、全然アテになりませんでした。いかに自分たちが、情報に惑わされているか、フタをされているか。

例えば、新聞には「のと鉄道が通りました」「被災地でお花見をしてます」というハッピーニュースが、ポロッポロッと出てくる。それだけだと「あ、能登はもう大丈夫なんだ」と思ってしまう。東京と温度差があるのは、そういう報道の影響もあるんだな、というのを非常に感じました。

小川:私も正直、奈緒さんに誘っていただいたときに、「大丈夫かな?」って思いました。それで行き方を調べたら、最新の情報がまったく出てこない。私が調べたときは、能登空港からのレンタカーがなかったんですよ。自分でレンタカー屋さんを調べて、ない、ない、と。だから新幹線で金沢へ入って、そこから車で行きました。

道路状況は、映像で見ていただいた通りですが、行けました。そして安全に帰ってきました。その温度感は、行かないと分からなかったですね。

三上:今だったら、道路はGoogleのナビの時間通りに着きます。でもいまだに「能登、行っていいのかな?」と聞かれます。

 

海の家は、「冬だから」と調理道具を貸してくれた

三上:普段の仕事で焚火料理をするときは、「なるべく物は持たず、現地にあるものを使って最小限でやるところに、生きる力を見出す」みたいなコンセプトで作り上げていたんですね。なので、自分の持ち物は常に最小限。

だけど、炊き出しとなると、鍋も、五徳も、ガスボンベも、調理道具も、食材も用意して行かなきゃいけない。私は車すら持っていなかったんですよ。でも、「必要となったら物が集まってくる」じゃないですけど、車は友達のお父ちゃんが貸してくれて、鍋とか調理道具は、夏に『浜茶屋』という海の家をやってる友達が、「冬だから、あるから」と全部貸してくれて、それで行ったんですよ。


高校の授業を再開するけど、お昼はどうする?

小川:飯田高校の炊き出しは、どういうつながりで、手をあげたんですか?

三上:最初、能登町に炊き出しに行ったとき、仲良くなったみんなが集う『ヒノマル』という場所を紹介してくれた人が、飯田高校で働いている方だったんです。それで、「午後の授業が始まるんだけど、お昼がないから、炊き出しをお願いできないかな」って。それが飯田高校とのつながりです。

小川:最初は、何も整ってない状況だったわけですよね。学校の受け入れ体制も含めて。

三上:最初は、学校の昇降口のところに長机を並べて、でっかい寸胴鍋を3個、それで、外で料理してたんですよ。でもやっぱり、2週間やるとなったら全部の日が晴れなわけないし、寒いし。それなら「調理実習室を貸してもらおう」と思って、でもそこもカチャカチャで。能登、石川の人は、グチャグチャのことをカチャカチャと言うんですけど(笑)

小川:新しい言葉を覚えました(笑)

三上:床が水平じゃなくてV字になってる。微妙にゆがんでるんですよ。米を計量するときに水を調節しないといけない。


ごはんがあると、登校する生徒が増えた

三上:いきなり約170食だから、「道具も足りない」ってなって。私のネットワークで、岐阜・郡上の仲間に「鍋がないけど、どうにかならない?」と言ったら、そこの団体に寄付された鍋を「貸してあげるよ」とか、『のっぽくん』のむつみさんが、「うちに五升炊きあるから、持って行きなよ」とか言って道具が集まり、臨時の調理場ができて。

三上:最初、学校から「140食でお願いします」って言われて用意したら、米がなくなりそうなのに、生徒がまだまだ並んでるんですよ。「すみません、今から急いで炊くから30分だけ待って」って言って。これは、「生徒が増えてる」と思って。

避難していると、生徒が学校に来なかったりするんです。でもごはんを食べられるってなると、それを理由に、生徒が増えるんですよね。なので、最初先生が予測していた数字より、生徒が増えていたんです。

会場:(笑)

ボランティアの『給食』は、心と心の交換

三上:それで、翌日から「食べる人は予約票をください」と、各クラスにチェックリストを配ってもらいました。「食べる人はマルをつけて、毎日数えて、クラスの代表が持ってきてください」って。

そうしないと、やっぱり生徒も食へのありがたみが薄れて、忘れられてしまうと思って。ちゃんと「食べる」と予約しているからごはんが出てくるということを、形としても伝えなきゃと思って、先生に交渉しました。

三上:盛り付けも最終的には生徒が手伝ってくれてたんだけど、最初は、「授業の時間がなくなるから、盛り付けはできません」って言われたんです。「ちょっと待ってください、先生」と。「これは、お金を介したフードサービスじゃないです。あくまでも、みんなの善意で、心と心の交換なんですよ。だから、まったく手伝わないということだと、私たちはとても困ります」という話をしました。

でも先生側としては、1月から授業が休みだったから、なんとしてでも、カリキュラムを終わらせたいという焦りがあったんですよね。


『給食』を生きた学びにするため、学校と交渉した

三上:それよりももっと大事な、生きた学びとして、誰かを助ける人たちの背中を見るとか、そこに自分が加わることの方が、将来「誰かを助けたい」って思える素敵な人間になる、格好の学びの場じゃないかと思って。それで先生に「お願いします」って言って。そこから、最初の10分、最後の10分と、片付けと配膳を手伝ってもらえるようになりました。いろいろ闘ったというか、対話をしたわけですよね。

小川:朝「おはよう」と言って紙を集めたり、生徒が配膳をやったり、そこまで含めて、奈緒さんチームが整えてたっていうことですよね。


何だって、作り立てがいちばんうまい!

三上:ふつう炊き出しっていうと、外や避難所で広げて、町の人がだーっと並んで取っていく、仕込みも別の場所で仕込んで持ってくるものなんだけど、ここでは、現地でイチから作る段階からやりました。

三上:これをやっていると、他の炊き出しの人から「金沢とかに拠点を構えて、そこで全部作ったものを真空パックにして、現地であたため直せばいいじゃない」って言われたんですよ。

私はそれもひとつの方法だと思うし、実際にそれをやることでたくさんの食を届けることができるメリットもあると思う。けど、私は、学校という教育の場だからこそ、やっぱり何だって作り立てがいちばんうまい、っていうのが分かっていたから、かたくなに現地で作りました。何よりも、そこで人に関わってもらうことに意義があると思っていて。


『炊き出し』ではなく、日常感のある『給食』という言葉を使う

三上:『炊き出し』という言葉をあまり使いたくなかったのは、やっぱり災害時の言葉じゃないですか。「炊き出しですよ」「炊き出し食べますか」と言われた瞬間に、「自分は被災してる」という気持ちが入ってくると思って。だから学校だし、『給食』って言葉を聞くだけでワクワクするみたいな気持ちが自分の中にあったから、自分で『給食室』って調理室に貼ったんです。

小川:あれも奈緒さんが貼ったんですね。

三上:勝手に(笑)

会場:(笑)

小川:私も給食をいただいたんですけど、ほんとに、おいしかったんです。それだけのクオリティのものをボランティアで作るって、やっぱり、労力もお金も、ものすごくかかるじゃないですか。そのあたりの事情ってどうでしたか?


10日間×170食で、100万円もかかった

三上:これ、10日間やってます。170〜180食くらい。相当なお金がかかってて。この話を他の方にすると、「どちらのボランティア団体の方なんですか?」って聞かれるんですよ。まさか、イチ個人がこれをやってるなんて、しかも学校という公共の機関に入ってやってるなんて、想像されないんです。

でもこれは、私が支援金を集めたり、最初は自分のポッケから出したりしたお金でやってます。でもこれでは苦しいと。ちゃんと勘定しなきゃ、と思って計算しました。実は車は、私の疲労がたまりすぎて、最終日にスリップして壊してしまいました。修理したら20万円かかりました。で、食材費と、みんなから食材支援があって、100万円くらい。人件費は入っていません。


給食は必要なものなのに、システムが破綻している

三上:だけど、この給食は、実は県の教育委員会が「午後の授業を再開するには、お昼ごはんが必要である」と。「じゃあ炊き出しにお願いしよう」という流れで始まってるんですね。だから、本当ならば、これはオフィシャルだから、仕事とか、予算としてちゃんとある状態で、発注されるべき案件です。

同じようなことが、小学校でも起きてるんです。小学校の給食も「炊き出しお願いします」ってなって、ボランティア団体が入って、それも昇降口で作ってくださいと、給食室は入っちゃいけません、と。それぞれのボランティア拠点の狭い一室とかで、みんな作業してる。

200食とか100食とかを用意して、寸胴鍋ごとぜんぶ学校へ運んで。運ぶのも、盛り付けも、学校の人は誰も手伝ってくれません。それを見たときに、「ああこれ、システムとして破綻してる」と思ったんですよ。

小川:そうですね


災害時の給食をどうするか、情報が蓄積されていない

三上:なのに、給食の1週間の担当が書いてあるんです。この日は自衛隊、この日はボランティア団体と。自衛隊は仕事で来てます。ボランティアはボランティアです。なぜそれが、並列で並んでいるのか。給食は、絶対的に必要なものではないか。

同じようなことが東日本大震災でも、熊本地震でもあったと思うんですよ。でもそれがまったく情報として蓄積されていない。給食といういちばん必要なものが、ちゃんと整っていない。で、結局そこでしわ寄せがいくのって、子どもたちだったりする。

やっぱりこれは制度としてちゃんと整えるべきものだと思う。何かしらの形で、次の未来の何かが起きたときに、つないでいかなきゃいけないことでもあると思いました。

『給食の歴史』という本をたまたま読んだんですよ。そしたら、「学校給食施設は、災害時の炊き出しの拠点である」と書いてある。おーい、と思って。(笑)「作らせてくれなかったじゃないか」と。

会場:(笑)

卵を一個一個焼いて『オムライス』をつくる

小川:「システムが破綻してる」とおっしゃってた中で、私が密着したあとの2日間は、『オムライス』と『珠洲御膳』を作ってたわけじゃないですか。私は正直「いや、そこまでやれるかな」って。私、2日間参加しただけでも、かなり疲弊したんですけど、たぶん奈緒さんは、その後ほんと抜け殻だったと思うんですよ。

三上:だから車で、人生で初めてスリップしました。

小川:『オムライス』も、給食でつくるって、めちゃくちゃたいへんですよね。卵を一個一個焼くわけですよね。

三上:あれは、もうちょっと卵をオムらしくしてあげられたらなぁって。(笑) 疲れも出ちゃって、自分のなかでは悔しいオムライスだったんですけど。


給食に脚付お膳で『珠洲御膳』、地元食材で伝えた文化

小川:最終日の『珠洲御膳』は、さらっと内容を教えていただけますか?

三上:珠洲や能登って、お祭りが大切にされているんですよね。『呼ばれ』という文化があって。お祭りのときは客人に、脚の付いてる輪島塗の漆のお盆とお椀で料理を盛り付けて、一人一脚出してもてなす風習があります。

珠洲に『つばき茶屋』という、とても素敵なお店があるんですよ。海女さんがやってて、自分たちで獲ったものをそこで料理するという。その人たちと知り合ったことで『珠洲御膳』や郷土料理に興味を持って。



三上:やっぱり学生たちで、この地震を受けて珠洲を離れざるをえない人もいるだろうと思って。実際、私が行ったときには、20人、30人くらいの転出が決まってました。そうした中で、珠洲の文化を知らずに、珠洲から離れていくのは、非常にもったいないと思っていて。

あと、珠洲で活躍している人たちの背中を見せたい、地元の人に入ってもらいたいと思って、『つばき茶屋』に話をして。相当な数のお椀やお盆をかき集めてもらったんですよ。給食というかもう、御馳走ですね。

三上:私は器にこだわったのは、紙皿とかプラスチック皿は、やっぱり非常事態というのが出ちゃうから、やっぱり最後はちゃんと器で食べさせたい。『オムライス』のときも銀色のステンレスのスプーンを使ったんですけど、そのときに、「スプーンだ!銀のスプーン、年明けて初めて使った!」って言われて。

小川:へぇー。

三上:みんな、プラスチックのスプーンで食べてるから。たった1本のスプーンでも気持ちが変わるんです。


お膳を手放すことは、文化を手放すこと

三上:今日みなさんにおみやげで『のとっこしいたけ』を用意しております。

実はここの娘さんが、飯田高校に通っていて。あと、給食では地元の豆腐を使ったり、海女さんの仲間が海藻や天草を持ってきてくれて。『珠洲御膳』の寒天寄せは地元のお母ちゃんが作ってくれたり。あのときの食材は、ほとんど能登のものでそろえたんです。

三上:お魚も、魚屋さんって水がたくさん必要じゃないですか、だから、今回の震災のときに、魚関係の人はものすごいダメージを受けて。漁に出たとしても、氷がないから魚が運べない状況で。最初なんて漁師さんは、富山に行って氷をとってきてから魚を獲って、それを氷の中に入れて金沢に運ぶ、みたいなことをしてたんですね。

私が能登町で仲良くなった丸福商店さんも、全然水が出なかったけど、1週間前くらいに「水が通った」って。それでサバを用意してもらったんですよね。すごくおいしかった。

『珠洲御膳』の器は、いらないですっていう人のものだけもらって、集めてたんですよね。あとはホテルから借りて。器が集まったのは非常にいい、だけど裏を返せば、「もう家で使うことはないので、あげます」ということ。文化を手放すということと、イコールなんです。文化がどんどん廃れてしまうという哀しさも、ありました。


出会った縁をキープして、活かす

小川:この状況の中で、あれだけの器を使うってほんとにたいへんなこと。水が、思うように使えないので。あれを一個一個ぜんぶ、拭いたりしたわけですよね?

三上:なんと「食洗機カー、つくったんだ」と、オープンジャパンというボランティア団体の人に、たまたま出会ったんです。それで、お皿は全部それにかけて洗って、みんなで拭いて。生徒たちも芋づる式に何人か巻き込んで、手伝ってもらって。それまでに出会った縁をいかにキープしておくかという、頭の中の地図じゃないけど、それによって無事に終わることができました。


ボランティアにおける、利己と利他

小川:私は、奈緒さんの体をめちゃくちゃ心配してしまって。その姿を実際に見てから、私は東京に戻って「ボランティア」と「利己と利他」について考えました。

奈緒さんも、この現場に入る前に、中島岳志さんの『思いがけず利他』っていう本を、読んだんですよね。ボランティアって、人のためにやることじゃないですか。でも、人のためにも限界があるなとも思ったし、私が現場に行って思ったのは、ある程度、利己でいいのでは、と思ったんですよ。

三上:うん。

小川:どこかで自分が満足する。ここで学べてよかったとか、誰かのためになれて嬉しいとか。そういう満足がないとやってられないくらい、大変だなと思って。そのあたり、現場で10日間動いて、どう感じましたか?

三上:そうですね、そういう意味でいうと、私は、利他と利己が混じってる中でやってたんですね。

小川:はい

三上:私は、もともと小学校の栄養士をやっていて。「学校給食というものは地産地消が素晴らしい」「顔の見える給食が素晴らしい」「給食はいちばんの教材です」って大学で習って。

晴れて小学校の栄養士になりました。私が働いていたのは東京23区ですけど、フタを開けるとですね、東京だから仕方ないけど、地産地消のチの字もないわけです。地産地消マップを学校で作ってたんですけど、東京はいつも小松菜だけ。

会場:(笑)

三上:中央市場からくるから、誰が育ててるかなんてわかんないし、オーガニックだなんて言ってられないし、ちょっとでも泥がついてたら返品しなきゃいけないルールがあったりとか。モヤモヤしながら働いていたので、能登で給食を作ることになって、「これは、私がやりたかったことができるということじゃないか!」と、思って。

そういう意味でこれは利己ですね。私は、顔の見える、最高の給食を作りたい。それを、この被災地でやりたい。だから私は、当初の8日間、ぜんぶやりますって言ったんです。

小川:奈緒さんの中にも利己があって、ちょっと安心しました。


相手の気持ちを、言葉の裏まで想像して、接するのが大事

三上:現地の支援物資を仕分けしてたときに、賞味期限切れとか、平気で混じってたんですよ。これは完全に利己。つまり、「被災地のために何かしたい」「自分の満足のために送りたい」だから賞味期限切れや、よくわからないものが送られてくる、というのが、非常に多かったんですよ。相手が受け取ってどんな気持ちになるか、そこまで想像しない。自分が落ち着かないからとりあえず何かするというのは、完全に矢印が自分に向いている。そういう勘違いが、ボランティアをやっててもけっこうあって。

東日本大震災の支援に行ってた友達が、「言葉の裏に何があるかまでちゃんと想像して、接するのがすごく大事」って言ってたのが、まさにそれだと思って。相手ありきで、自分がそこにいる、というスタンスが、支援活動で非常に大事なマインドセットだなって思いましたね。


1日だけでも能登の力になる方法はあるか?

小川:質問をいただいていて、ありがとうございます。「ぜひ私も何か能登へ力になりたいと思うのですが、正直なところ、現地入りして支援を続けるというのは、なかなか難しいと感じています。そんな私でも力になれる、自治体の窓口などありますか?

三上:そうですね、いろんな団体があります。ネットで検索すると、ボランティア、災害支援でいろんな団体が出てくると思うので、その中で自分の合いそうなものにアクセスするのがいいかなと思ってます。

私が実際に現地にいて関わった団体としては、『オープンジャパン』さん。こちらはほんとに広くやっています。あと、『災害NGO結』。この方たちもずっと最初から入っていて、ほんとに地元に寄り添った活動をされています。インスタグラムやnoteにあげた記事が素晴らしくて、今、能登で何が起こってるかがわかるので、それもぜひ読んでもらえたらと思います。あとは『RQ』さんも。

そういったところに、まず入り口で入っていただくのがいいかと思います。


ふだんから自然に触れて、生存方法を磨く

小川:今回、私が泊まったキャンプ場なんかも、アウトドアブランドの『mont-bell』が協力していたりとか。そういうブランドもそうですし、現地に来ているボランティアの人たちも、見てわかる通り、ふだんから自然の中にいる人ばっかりでしたよね。

三上:一次産業の農家さん、漁師さん、アウトドアの自然教育やってるとか、最前線にいたのはそういう人たちばっかりでした。なんてかっこいいんだと、キラキラして見えましたけど。ふだんから自然の営みにふれたり、サーフィンとか登山など、何かあったら死が隣にあるところで生きてる人って、感覚として研ぎ澄まされている。何が必要でどう動けばいいのか、カンが働くというかね。ある意味備えになるのかなと思いました。


飯田高校の生徒たちの、食に対する変化は?

小川:もうひとつ、質問がきています。「奈緒さんの災害時の給食を通して、飯田高校の学生、教師、学校の、食に対する変化はありますか? これは、アンケートをとってましたよね。

三上:そうですね。今後のためになるものをと思って、アンケートをとったんですよ。「災害の前後で食に対する意識はどう変わりましたか?」「どんな食の未来をつくっていきたいと思いますか?」みたいなことを書いて。その中で気づいたこととしては、「インスタントラーメンばっかり食って死にそうだった」とか。

会場:(笑)

三上:「カレーを毎日食べるのは飽きると思いました」とか、「ちゃんと食べないと体調を崩す」みたいなことを書いてくれる人たちもいましたし、「どんなものでも家族と囲んで食べる、それだけで満たされるんだなということに気づきました」という声もありましたね。

究極の状況に陥ったわけじゃないですか。毎日レトルト食べるとか、1日おにぎり1個も満足にない中で、食というものに何を見出すか。やっぱり何が自分の体にとって喜ぶことなのかというのは、骨身に沁みたと思って。なので彼らは今後レトルトとかを見る度に、「ああ、やだな」と思うかもしれないし、「もっとおいしいインスタントができたらいいな」というコメントもあったし(笑)

会場:(うなずく)

三上:高校生たちも、家が津波で流されたり、家が潰れてしまって命からがら這い出てきた子とか、みんなすごく大変な思いをしてる子たちなんですけど、だからこその、ほんとに強い力を得たんじゃないかなとも思っています。

小川:このとき、おなかも満たされたと思うんですけど、たぶん彼らが10年後とか20年後、社会に出るときや、家族ができたときに、このときの経験、食べたもの、見たものが、すごく響いていくんだろうなと想像していました。ちなみに、奈緒さん自身が今後、能登で予定していることはありますか?


これからの能登との関わり方

三上:私は海女さんたちとのご縁があって。彼女たちの生き方は、里山のもの、海のものを、獲ってきて食べる、という暮らし。個人的に憧れもあるし、興味があります。プラス、漁港が壊れて漁に行けない、地形がまったく変わっちゃったという中で、彼女たちをなんとか応援したい気持ち、これは利己ですけど、純粋に好きだなと思ったんです。

高齢ですよ、お年の方ばっかりなんですね。そんな中で、ごはんつくりに定期的に行ったり。もうそのごはんは、生命をつなぐためのごはんではなくて、みんなが集まる理由になる、そういうごはん。人が集まってくるんです。そういう意味でのごはんの役割は大きいと思っていて。

高校もね、今度行ったときにヤッホーって見に行こうと思うし。やっぱりいちばん大切なのは、継続的に、おーい元気にしてるの? 何してるの? ってつながっていくことだと思っているので。

そうそう、この映像にも出てきた松本さん、まっちゃん(珠洲市在住)に、「最近どんなこと感じてる?」みたいな話を昨日ちょうど電話したら、

小川:映像の中で、「飯田高校に避難をしてて、その恩返しでボランティアしてます」って言ってた方ですね。


「能登に来てほしい、話し相手がほしい」

三上:物資とかを送るのは、段階的には、ほぼ終焉に向かってる。ガレキ撤去とか、もちろんやることはいっぱいある。けど自分はできないかも、というわけじゃなく、とりあえず来ることに意味があるし、ぜひ来てほしいと、言っていて。その大きな理由として、話し相手がほしい、みんな。

例えばですよ、私の隣の家は全壊してる、私の家は半壊です、その中で「はーしんどいよね」って言えないじゃないですか。だって私の方がまだましなのに、しんどいって言ったら申し訳ないとか。本音を、ちょっとぽろっと出てしまう愚痴ですらも、なかなかしゃべることができない。

だからそういうのこそ、外からきた人とお茶でも飲みながら「いやー、やっぱしんどくてさ」「こういうことがあってさ」って話すのを純粋に聞いてもらう相手だけでも、じゅうぶんに必要です、と。

だから今、心のケアみたいなのが必要なのかなって思ってます。誰でもできることはあると思うんです。さっき映像に映ってた「ボンタンどうぞ~」っていう、ボランティアに参加した子どもたち。あんな小さい子たちでさえ、女子高校生たちがキャピーってなっちゃって。

会場:(笑)

三上:やっぱりそういう力って大きいなぁって。だから、来るだけで、いるだけで、絶対そこに何か意味はあるので、みんなそれぞれのタイミングで。能登さと山空港にいったら、すぐですからね、1時間で羽田から能登に入れますんで。

小川:けっこう再開している宿もあるって聞いて。行ける場所はあると思うので、普通に旅行に行って、現地の人とお店でしゃべってみるだけでも、できるのかなって思いますね。


飯田高校 炊き出し「給食」 献立

2024/03/11(月)
中華丼、みそ汁

2024/03/12(火)
ゴーバルのベーコンと野菜たっぷりスープ、キャロットライス、蔵光さんのポンカン

2024/03/13(水)
鶏だんご汁、しらすわかめごはん、青菜のおひたし

2024/03/14(木)
豚玉丼、青菜のおひたし、みそ汁

2024/03/18(月)
猪麻婆豆腐丼、中華サラダ、スープ

2024/03/19(火)
生姜焼きごはん、ゆでキャベツの土佐あえ、みそ汁、土佐文旦

2024/03/21(木)
オムライス+トマトシチュー、野菜そうざい

2024/03/22(金)
「珠洲御膳」
・白飯、アカモクふりかけ(珠洲産アカモク使用)
・海藻のみそ汁(能登のワカメ、アカモク、アオサ使用)
・サバのみそ煮(宇出津産サバ使用)
・煮物(能登町産しいたけ使用)
・大学芋

ご協力いただいた方々
石田とうふ、志賀浦みそ、輪島朝市むすび、刈谷農園、珠洲ビーチホテル、つばき茶屋、のとっこしいたけ、丸福商店、ラルラルオーガニック、中里自然農園、レストラン浜中、木ノ浦ビレッジ

奥能登の豊かな食材、海のもの、山のものをふんだんに詰め込みました。


NOTO, NOT ALONE 能登・飯田高校炊き出しの記録【予告編】


このドキュメンタリー映像を上映する活動は、これからも続きます!
詳しくはこちら

>>「能登からつなぐバトンプロジェクト」始動!

 

能登からつなぐバトンプロジェクト
オンライン上映&トークショー

日時:2024年6月9日 18:00〜20:00

スケジュール:18:00〜18:45 ごあいさつ・上映
       18:45〜20:00 トーク・Q&A

上映:NOTO, NOT ALONE(35分、監督:小川紗良、出演:三上奈緒ほか)

トーク:三上奈緒(旅する料理人)、小川紗良(とおまわり代表)

視聴方法:お申し込みはコチラ
https://tomawari.jp/products/online_event_0609
お申し込みいただいた方に後日zoomリンクをお送りします。

チケット:1100円(オンライン開催のチケットの発送はございません)

申し込み期限:6月9日 15:00まで

※本イベントのアーカイブ配信はありません。

※zoomを使用するため、事前にアプリのご準備をお願いいたします。

※収益は、能登半島の継続的な支援および取材に活用させていただきます。

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